この世の中で「私の物」と断言できるものは自分の意のままになるものと定義さ れます。如何に法によって権利を認められようとも自分の思い通りにならない物は「自分のもの」とは言い切れません。親も子も夫も妻も同じです。

「自分のもの」と考えている「自身の体」は五感は元より自由な行動が可 能です。しかし意のままに体を使うことはできますが一旦故障すれば思うように動かすことは勿論話すことすら適いません。もしも自分の物ならば自分で修理で き、病気などで苦しみ又命を落とすこともありません。例え自由に使えても我意のままにならないものは「自分の物」とは言えません。

人の体」は産まれたときから使用期限(寿命)、男女別、体躯の大小等 々が定められており、自分の意志でこれを変える事はできません。このように条件付きで自由に使えるものを借り物と言います。

借り物には必ず貸し主とその目的が存在します。生かされている・・・と は借り物であることを表し、生きている・・・とは「借り物」の範囲内で自由に使えることを言います。しかしこの世に意識して産まれてくる人は誰一人として いませんから借りる目的が分からないのです。

借りる目的が分からない場合は貸し主の目的を知り、その目的に添った使 い方が末永く健康な状態で貸して貰える秘訣です。「貸し主」と「その目的」「上手な借り方」を知ることから新たな人生がスタ−トします。

人間は陽気な社会をこの世に実現させる目的で創造されました。他の動物 とは異なる進化を遂げた理由はここにあります。人間は創造時に如何なる状況下にあっても陽気くらしができるように創られていますから「創られた目的」を知 れば万全で、心身の悩み苦しみはこの目的から逸脱した場合に生じる現象です。これは人間に秘められた「陽気くらし」の因子に逆らうことが原因です。

上手な借り方とは貸し主の目的を知り、それに添った使い方(生き方)を することです。この世に存在する「人」「もの」全てはその目的を具現する為に必要にして不可欠なもの・・・これが原理原則です。従って自己中心的な幸せの 追求は自ら体の不調や故障を招き入れます。この為には先ず貸し主への「感謝」と借りている側の「慎み」の心が大切です。

「神が人間を創造した」とは人間の想像を遙かに超えた人体の神秘から常 識のようになっております。これは間違いとは言えませんが正しくはありません。人間は創られた当初より自力で今日の進化を遂げたのではなく、創造主の永き にわたる育成は当然の事ながら今もなお体がその目的の為に順調に働くか否か一秒の間断も無い保守作業が必要です。これが貸し主(創造主)により今も生かさ れている証拠です。

神秘なものと称される人体の仕組みと働きの原動力は全て貸し主にありま す。人間にできる保守、修理は借り物の範囲内でのみ可能です。この世の中で自分の思うままに駆使できるものは只一つ、「自分の心」だけです。何を考え何を 思い巡らそうともこれは自由ですがこの自由なるが故に借り物である体の使い方(借り方)を誤り自ら故障を招くことになるのです。

この世には目に見えるものと見えないものがあります。目に見えるものは 事実として無条件に信じてしまう反面、見えないものは事実であっても否定しやすいのが人の常です。しかし見えないからとてこの世に空気の存在を否定する人 はいません。呼吸することでその存在を知るからです。

人と人との信用や親子の愛情も目には見えませんが日常生活の交流を通し て実感できます。人の言動も目に見えない心が見える形として現れてきたものですから言葉や態度でもってその心中が伺い知れます。

見えないものの存在を否定するような生き方は物事の実体を正しく認識で きないばかりか日常生活において身近に生じる苦悩苦難の解決方法さえも失う結果となる危険性があります。これは見える事柄のみをもって判断し見えないもの の存在を疎かにするのが原因です。

神の存在も例外ではありません。例え姿や形は見えなくてもお付き合いす る事でその存在が確認できます