西信寺沿革
 当山は、西暦1505年(永正2)滋賀県日野町内池にある照光寺の道場として開基しました。永井村の惣道場には、名号や仏像の絵像を安置して、永井村の百姓集がお勤めをして信心を深めていました。西暦1630年ころには仁右衛門が坊主となって惣道場を管理していました。西暦1690年(元禄3)に本寺照光寺を通じて、本願寺に西信寺という寺号、朝陽山という山号、木仏本尊を願い出て許認されました。創建当時は、永井村が井手神社の西側、朝明川・田光川の合流地点にありましたが、惣道場もその近くにあったものと思われます。しかし、1650年(慶安3)寅の洪水に見舞われ、集落は東南の高台に移り、道場もともに移転しました。現在地は当時の代官藤波氏が屋敷の一角を寄進したものと言われている。

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