TOPページへ 日産  サニートラック
ロングボデーデラックス

ハセガワ 1/24









 サニトラは、1967年にセダンのバリエーションモデルとして登場し、 1971年に2代目にバトンタッチされましたが、デビュー以来、 企業や個人商店の営業車として業務をサポートし続け、 必要にして十分な積載能力と、丈夫で使い勝手の良さからか、 ヒットとまでは言いませんが地味〜に売れ続け、国内では1994年まで生産が続けられました。








 今、カーモデラーの間で熱い注目を浴びる(笑)このクルマでありますが、現役当時はそれこそ路傍の石の如くどこでも見かける存在で、顧みられることはありませんでした。
 何を隠そうウチも、親の商売の関係で当時ピックアップトラックがありまして、もっともサニトラではなく、パブリカトラックだったんですけどね。
しかもウチにはこれ1台しか車がなくて(テレビと同じで、クルマは一家に1台の時代でしたから)、出かけるとなると家族4人でこれに乗るわけです(当然、定員オーバー)。
 親父が運転、母ちゃんが助手席で、私は真ん中のサイドブレーキの所に座布団を敷いて座り、弟は母ちゃんの膝の上という、今の車と比べるとかなりサイズ的 に小さい車なのになんとも無理矢理な乗車方法で、たまに検問なんかに出くわすと、首の骨が折れるかってぐらい母ちゃんに頭を押さえつけられて、窓から見え ないようにして切り抜けたりという、なかなか悲惨なメに遭ったりもしまして、友達の家とかでカローラなんかの普通のセダンが置いてあるのを見ると、凄く羨 ましかった覚えがあります。
 しかし私が小学校も2年ぐらいになると、流石にそれではキツイってんで、やっとこさド中古の70ミニカに乗れるようになりました。








 というわけで今回、当時のしょっぱい思い出を胸に(笑)、製作に着手してみました。
 キットはハセガワ製。よくまあ、こんなの完全新金型でリリースする気になったなと。ただでさえ、新規のリリースが少なくなってるってーのに、この英断は拍手モノですね。
 とはいえ、作るのがかなり出遅れた感がありますんで、今さらストレートに作ってしまうのもあんまり面白くありません。
 悩んだあげく、当時サニトラの生息率が高かったのは電器屋さんだよなー、と思い(ってこれ、後で気づいたんですけどながせさんも同じ事考えてたらしいんだよなー、うわーどーしよ…)、当時のカラーリングを再現することにしました。
 で、作るんならやっぱ「明るいナショナル」でしょ、と思ったんですが、一方の「光る、光る東芝」の、70年代から更に遡った60年代的なカラーリングもダサカッコ良くて捨てがたいものがありまして、結局2台同時進行となりました。
 キットを組みつつ、まず色を乗せる位置を決めて、ロゴ等をフォトショとペイントで作成。それからKトレーディングのマイクロデカールでデカールを印刷しました。
 ボディサイドの電化製品が両方とも「カラーテレビ」と「エアコン」になってしまったのはご愛嬌。
 色はといいますと、持ち込んだ塗装屋さんによって微妙に違うでしょ、と思いましてそれこそテキトー、東芝車は基本色のイエローに若干レッドを混ぜた濃い黄色で塗装、ルーフは基本色のレッドをそのまま吹きました。
 ナショナル車は、グランプリホワイトの地にブルーにホワイトを混ぜたただの「水色」で塗装、、赤は若干マルーンを混ぜて、気持ち濃いめにしてみました。
 クリアーは半光沢を使用、研ぎ出しはしていません。
 どちらも車そのものはストレート組みですが、東芝車のみ、荷台に鳥居を追加しました。
 店名についてはほとんどシャレで、その昔両社がタイアップしていたヒーローのキャラクターから。ある程度の年齢の方ならすぐにわかると思いますんで、あえて説明は省略(笑)。ただ、「エスパー電器」って、なんかホントに実在したらしいんで、「無線」に変えてあります。
 ここまでやったら、ナンバープレートもギャグで作ってしまおう、と思いまして、架空の陸運局のナンバーにしてみました。数字はそれぞれ「7476(なしょなる)」「1048(とーしば)」って、いちいち言わなくてもいいですよね。

 どこかのメーカーさん、2匹目、3匹目のドジョウを狙って、パブリカトラックか、ファミリアトラックを作ってくれませんかねー。


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