TOPページへ トヨタ  パブリカ1200ST

フジミ改 1/24



  パブリカのデビューは1961年、そして2代目がリリースされたのが1969年です。
  初代パブリカは、(よく言えば)清貧という言葉がぴったりの、文字通り大衆車としてトヨタのボトムを受け持つクルマでした。 しかしながら、既に当時の人々はより豪華な車を志向するようになっており、爆発的なヒットとはいかなかったようで、しかも5年後のカローラの登場により、 すっかり影の薄い存在となってしまいました…みたいなことがパブリカの解説にはよく書かれているんですが…確かに、私が子供の頃(1960年代後半と思い ねえ)見かけたのはマイナーチェンジした後期型
、2気筒水平対向エンジンのパタパタという乾いた音が今も記憶の奥に残っています。
 
デビューから数年しか経っていなかったにもかかわらず、前期型を見た記憶がありません。てことはやっぱり、デビュー当初はあんま売れてなかったんでしょうかね。なんかそこら中走ってたような気がしたんですが。
 そして発売された2代目は、より若々しく、豪華になって登場しました。  「ガッツパブリカ」なんていう愛称で呼ばれてまして、イメージキャラクターは石坂浩二氏が起用されました。  しかし豪華になったとは言ってもすぐ上のクラスにいるカローラに被らないように仕立てる絶妙さは、さすがトヨタといったところでしょうか。



  私が小学生の頃、親父が勤めていた会社の同僚の人がこのパブリカ(前期型)に乗っていまして、その当時でもずいぶん古い車に乗ってるなーと思ったんです が、聞けばその昔、カルピス(正しくは森永コーラス)の王冠を2個送ると抽選でパブリカが当たる、という懸賞があったそうで、それが見事に当たって、それ が嬉しくて今も大事に乗っているんだ、と話してくれました。ていうか、当たるもんなんですね。
 そして1972年になりますと、ほとんどフルモデルチェンジに近い変更を受け、ファストバックの後期型にチェンジします。 2代目はダイハツにも供給され、コンソルテという名前で販売されたんですが、我が家にあったのがこれの後期型なんですね(もちろん中古車)。
 普通車としては4人家族が乗るのに必要最低限の大きさで、よく走るんですけど(って親父がカッ飛ばしてただけかもしれませんが)、スピードが上がるにつれ 室内の騒音は尋常じゃなくなり、高速道路に乗ろうもんなら普通に会話することはほぼ不可能でした。エアコンなんてないから夏場は窓も開けてましたし、その 頃はまだ速度警告のアラーム(キンコンですな)も装備されてましたから。
 それよりなにより、私しゃこのコンソルテのそこはかとなく漂ってくるコレジャナイ感というか、パチモン臭さがなんか嫌でした。親父は「パブリカだ」って言 い張ってましたが(笑)。
 ちょうどその頃、従兄の家でもパブリカに乗っていまして、よく遊びに来てたんですが、それを見るたび「同じ車なんだけど、なんか違う」と思ったものでし た。 マイナーな車自体は好きなんですが…我ながらややこしい性格してますね。



  とまあ、私のしょっぺー昔話はこれぐらいにしまして、キットの話を。
 今回製作したのは2代目の後期型、ベースは毎度おなじみフジミの27レビンです。
 ただでさえ小ぶりなボディなのに更に各部を切り詰めまして、一見すると1/28のゼンマイカーと見紛うぐらいの大きさになってしまいました(笑)。
 ボディはなんとかなりましたが、それに合わせてバスタブの内装もサイズダウンする必要がありまして、幅詰めしたらフロアトンネルが消滅することが判明、 仕方がないのでフロアトンネルはシャーシのモールドをパテでならしてシフトレバーとパーキングブレーキを直付けしました。
 フロントとリアのウインドーは、現物合わせで少しづつ削って調整…したつもりだったんですが、どういうわけかフロントの上部に隙間ができてしまいまして、 しかも気づいたのが完成後だったという体たらく。
 塗装はタミヤのオリーブドラブをスプレー塗装、AFV用ですから当然艶消しですんで、上からクリアーをぶっかけて艶出ししました。やっぱりこの時代のス ポーツカーはこの色ですよね、ていうか資料用の画像をググったらこの色しか出てこなかったんですが。



 さて、これが完成しますと次に作りたくなるのがKP47(初代スターレット)なんですけどね。実はマルイのキットを持ってたりするんですが…。もったいなくて手が出せません。
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