TOPページへ 日本自動車工業  NJ号

タミヤ改 1/24



 第二次大戦後の昭和20年代、雨後の筍の如く多くの二輪車、四輪車メーカーが乱立した時代がありました。 そんな中小メーカーのうちの一つだった日本自動車工業が製作した軽自動車は、英国のスポーツカー、 MGに倣って社名の頭文字を取ってNJと名づけられました。
 発売されたのは1953年、通産省(現在の経済産業省)による「国民車構想」が発表される1955年よりも前なんですね。
 で、54年には100台ほど売れたそうなんですが、日本自動車工業はその年の8月に倒産、 新たに興された日本軽自動車という会社で債権として差し押さえられていた部品をもとに製作されたのがニッケイ・タローでした。



 さて現在、NJ号は日本にどれぐらい残っているのかという と、私が調べた限りでは3台。  
 1台は長野県に動態保存されているもの。YouTubeでもその雄姿を見ることができます。そーいやこの車、 「開運!なんでも鑑定団」にも出ていたそうなんですが、残念ながら見逃してしまいました。鑑定額、いくらだったんだろう。
 もう1台は青森県に展示車両として保存されている、青色の車両。「オールドタイマー」誌にも掲載されていたようですね。私は持ってませんが。
 そして、東京都内の某所に廃車体が保管されているようなんですが・・・これについては今どうなってるのか、情報が皆無で分かりません。
 あと、秋田県に1台保管されていたようなんですけどこれは青森県の車両と同一の物ではないかと思います。
 という訳で、残存率は多くても3パーセント。割合から考えるとこんなもんかもしれませんが、何せ分母が小さいですからねー、 台数が少ないのは仕方がない事なのかもしれません。




 ところで、私がこの車の存在を知ったのは、確か中学3年の頃。当時からクルマ好きではありましたが、 古い軽自動車と言えばスバル360とそれ以外の軽自動車というぐらいの知識しかなく、サブロク軽にもスポーツモデルが存在する、 ということを知ったのもちょうどこの頃でした(ヤングSSとフロンテSSがバンダイから1/20で出ていましたしね)。  そんな頃、書店でこの本を見つけて、なけなしの小遣いをはたいて買いました。

毎日新聞社刊 別冊1億人の昭和史「昭和自動車史」

 表紙は三菱A型。車そのものではなく、膨大な数の報道写真から「車のいる昭和の日常」をチョイスするというスタンス。 普段私は、ここではテキトーな事しか書いてませんけど、これはマジでおすすめかな、と。オクとか古書店で探せば見つかると思います。
 で、そこて見つけたのがこのNJ号だったのです。最初に見た時は、何かまるで遊園地の乗り物みたいだな、と思ったんですが、それでもいっぱしの乗用車 (しかもロードスター)を気取っているその姿がミョーに印象に残ってしまい、この車についていろいろ知りたくなったんですが、いかんせん「幻の軽自動車」 と呼ばれるだけあって資料なんか皆無。たまーに雑誌なんかで紹介されたりしつつ、記憶の底に埋もれたまま月日は流れ、社会人になったある日参加した 「名古屋オートモデラーの集い」で展示されていた模型電動士さんのフライング・フェザーを見て驚愕。
いつかきっと作ってやる
と心に決めたんですが、 とりあえず決めただけで特に行動を起こすこともなく、更に年月が過ぎていきました。
 そして現在。資料はなんとか揃った(ていうかこれ以上増えることはないだろう)、作る技術も・・・まあ何とかなるだろう(笑)、 作る時間は昨今の情勢で、いくらでも確保できる、今作らなければ一生(以下略) という訳で、製作に着手した次第です。で、こっからやっとキットの話に移行する訳で・・・。

 キットはタミヤ製のクラシックミニからの改造。 以前職場の人にミニを作ってほしいと頼まれたことがあったんですが(ミニ・クーパーの項参照)、 間違えて最初に買ったのがこれでして、以来ずっと積んだままで不良在庫と化していました。
 まあ、何となく形も似てるし、何より在庫処分ができるってことで迷わずチョイス。前後左右幅詰めして、 2シーターですので後席はプラ板で塞いでパテで成形といった感じで仕上げました。
 シャーシ裏は切って貼ったミニのまんまで、前後から見える部分だけそれらしく作りました。 いいんです、シャーシの裏なんかどうせ誰も見たことありませんから。
 悩んだのがタイヤ。NJのタイヤは12インチですのでミニのタイヤは使えず、仕方なくハセのサニトラのタイヤを部品請求。 ただでさえ細いのに更に輪切りにしてパターン1列分細くしました。ほとんど原付のタイヤですね。
 そんなこんなでどうにか形にはなったんですが、またしても問題発生。というのは「このクルマ、当時何色だったんだ?」って事なんですが、 当時の写真を見てみるとほとんどがモノクロ。
 個人的なイメージとしては赤なんじゃないかな、と思ったんですが(最初のイメージが遊園地の乗り物でしたんで・・・)、どうも違う。 ていうか赤で塗ってしまうとじゃあシートは何色で塗るんだ?っていう新たな問題にぶち当たってしまうわけで。
 結局、「この時代のクラッシックカーによくある色」ということで、ゼロ戦用の深緑にホワイトを混ぜた、ややくすんだ感じの薄緑で塗装しました。
 という訳で、40年の歳月を経てやっとこさ立体化した訳なんですが・・・次なる目標はというと、やっぱり実車をこの目で見てみたい、 という事でしょうか、いや、オートサンダルを作るとかじゃなくて(笑)。
 




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