亭主が浮気で朝帰り、女房の不倫で家は留守・・・。彼氏や彼女、とった取られたの大騒ぎ、何れも恨み恨まれ事態は混沌として収まる気配はなく何時までも尾を引きます。特に女性はこの傾向が強く表れ般若さながら鬼になるとかならないとか。物語に鬼爺はあまり聞きませんが鬼婆の登場は繁く主人公そこのけの活躍ぶりです。人を鬼にも蛇にも変えさせる人の恨みほど恐ろしいものはありません。

特定の人物から理不尽な扱いを受け続けたりしますと何時しか恨む気持ちが湧いてきて許容限度をこえますと恨みも骨髄に達し最早だれも消し去ることはできません。人の恨みは根深く一時的には消えていても何らかの拍子に思い出し又恨む、江戸の仇を長崎で・・・と恨みを消し去ることは非常に難しくあの世まで引きずる人もあるとのことです。「恨めしや〜」と突然お出ましになる幽霊も恨みが原因とされています。

冥界の住人になっても恨みが残るのですから生身の人間の恨みは相当なものがあると思います。人を恨むこの感情は一代限りではなく親から子に孫に代々語り伝えられる場合もあってますます増え続けこの世は恨み満杯かも知れません。どこもかしこも恨み漂う人間社会では自分に落ち度があってもなくても又良くても悪くても恨まれることがあります。人の恨みは粘着テ−プのようでどこにでも貼り付けられますからこれ程始末の悪いものは他にありません。

恨みはその原因を相手に求めることから始まりますがその全てが相手側にあると考えるのは正しくありません。石につまずいて転んだ場合通常は自分の不注意を責め自身を恨む以外その対象はありません。しかしつまずいたのが寝ている人間ならば石の場合とは異なり「転んで怪我したのは彼奴の所為だ!」と不利益を被った量と期間に応じた恨みが湧いてきて自分の不注意など忘れてしまいます。

自分の不注意を忘れた一方的な考え方が恨みをより深く大きくするとも考えられます。恨むのも恨まれるのもその半分は自分にも責任があると判断出来れば恨みも半減し時間を経れば限りなく消滅に近づくと思われます。浮気も不倫もした方のみを責めず、させた方にも責任があると受け止めれば収拾のつかない事態も解決に向かいます。恨まれないようにするには人を恨まないようにする、もしも恨みたいのならば自分を恨む以外効果的な策はないのかも知れません。恨み漂うナンデモアリの世の中、言動には注意が必要です。