TOPページへ スバル 360 ヤングSS 

ハセガワ 1/24



 スバル360は、当時の通産省が発表した「国民車構想」に対する一つの回答として、1958年に発表された車です。
 それ以前の軽自動車はと言いますと、遊園地のゴーカートに毛が生えたような、およそ乗用車の体をなしていない代物も多く、生産期間も短く台数もまだまだ 少なかったようです。
 そんな中登場したスバル360は、本格的な乗用車として大ヒット、1969年にR-2が登場するまでの11年間に渡り生産されました。
 他メーカーがやっとこさマトモな軽自動車を発売したのが1960年代でしたから、いかにこの車が先進的であったかが分かろうというもので、今なお語り継 がれる名車として知られていますが、それ故に、現在スバルが軽自動車の開発から撤退してしまった事は非常に残念なことだと思います。
 ヤングSSは、ホンダN360に対抗する形で追加されたスポーツモデルで、モデル末期の1968年に発売されました。車名の通りヤング(死語)をター ゲットにしたモデルなんですが、残念ながら当時私が見たのはファミリータイプばっかりで、これは見たことがありませんでしたね。



  とまあ、名車と言われるスバル360なんですが、私の幼少期には既にただの中古車っていうか、しかもイジラレ役のような存在で、日本を代表する名車であ る、と認識したのは私が車の免許を取って、この年代の車がヒストリックカーとしてクルマ雑誌のグラビアに掲載されるようになってからの事でした。
 当時のテレビドラマなんか観てますと、リアから煙出しながら青息吐息で走っていたかと思えば、途中で必ずと言っていいほどエンストして止まったりしてま した。前開きのドアも、何かすごく奇異に感じたものです。
「熱中時代 刑事編」(もうこの頃になりますと露出自体がありませんでしたが)では主人公 早野武(水谷豊)の愛車として登場しまして、第1話でいきなり爆発炎上したりと、結構散々な扱いを受けていたように思います。
 だもんで、当時の私は「変な形してるし故障も多いし、とんでもないポンコツ車だな」というイメージしかなくて、今思うと誤解も甚だしかったですね。
 あ、そうそう、特撮ヒーロー番組「トリプルファイター」では悪の組織デーモン軍団の愛車として黒塗り(しかも艶消し)のスバル360が5台も登場してい たことを付け加えておきますね。あんまりフォローになってませんけど。



 私自身のスバル360にまつわる出来事と言いますと、子供 の頃に1回だけ乗った事があるっていう事だけで、何の用事だったかは覚えていませんが、丁度家の近くのバス停で、母ちゃんと一緒にバスを待っていた時の事 でした。
 そこへ丁度、近所のおじさんが車で通りかかりまして、乗せてもらったことがあったんですよね。
 今のインプレとか見ますと「大人4人がちゃんと乗れる」と評価されていますが、確かに普通に乗れましたね。そりゃそうだ、子供の頃で体も小さかったし。 今のガタイで乗ったら、どう感じるんでしょうか。
 そのおじさんなんですが、スバル360、1000、レオーネ、117クーペ(いすゞだろそれは)と乗り継いでいた、なかなかのスバリストでしたね。



 そんな訳で、そろそろキットの話を。
 キットはハセガワ製。バリエーション展開されたうちの一つで、更に60年代ファッションを纏ったお姉ちゃんのフィギュアが付属しています。
 実はヤングSSを作ったのは今回が2台目で、1台目は中学生の頃、バンダイのモーターライズキット(1/20)でした。
 「あの」スバル360にスポーツ仕様があるって事をこの時初めて知りまして、思わず買ってしまったのですが、これが当時としてはなかなかよく出来ていま して、ドアも開閉したりします。
 一番感動したのはその走り。低いギア比で敷居も平気で跨ぐし、絨毯の上でもしっかり走るんですな。当然速度は遅めで、勢い余って壁にぶつかって壊れる心 配もありません。
 そのオフロードカー並みの走破性がいたく気に入り、散々遊び倒して天寿を全うしました(笑)。
 時は流れ、ちょっと思うところあって1/24で発売されていたハセガワのキットの製作に着手した次第です。
 ストレート組みで、特に変わったことはしていませんが、色に関しては以前に作った360同様、レッドを混ぜたイエローをエアブラシで吹きました。
  本当はもっと薄い黄色みたいなんですけど、ワタクシ的にイメージがこの色だったんで、真っ黄色にしてしまいました。
 フィギュアも無理せず説明書の通りに塗りましたが、手を加えてもう少しサイケ調にしてもよかったかな、と思いました。


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